「窒素振動温度の研究」:背景はNTV(窒素振動温度測定器)設計図



目次


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はじめに 〜研究の概要〜

 大気の主成分は窒素分子であり、いわゆる電離圏はこの大気が太陽紫外線を主なる電離源として生成されるものである。これまで電離圏における測定物理量は(高度によって異なるが、一般的に研究の最も進んでいるE層下部からF領域に至る高度領域では)、電子密度・電子温度・イオン密度・イオン温度・イオン組成・イオンおよび電子のエネルギー分布・プラズマドリフト・中性ガス組成・中性大気温度・電場・磁場、そしてこれらのパラメータのゆらぎなどであった。

 我々の研究室では一歩踏み込んで窒素振動温度を測定することを考えた。その理由は、電離圏において振動励起された窒素分子がその熱エネルギー収支・化学反応に及ぼす影響については1950年代からこれまで理論的に評価されてきたが、観測的にはオーロラ中での観測を除いて皆無であったためである。

 そこで我々は測定器の開発と室内実験を進めている。1996年2月11日には鹿児島宇宙空間観測所(KSC)より打ち上げられた観測ロケットS−310−24号機により、高度90〜170kmにおける窒素分子の振動温度・回転温度・数密度の同時観測に成功した。

 また、2002年には前回の測定器をさらに改良した高精度のロケット観測を予定しており、その結果が熱圏下部のエネルギー収支の解明につながることが期待される。


研究の目的

  1. 振動励起された窒素分子の振動温度(Tv)をロケット観測によって直接測定し、その役割を調べる。

  2. 高度90〜170kmの下部熱圏のエネルギー収支を、様々な物理過程を総合的に考察することによって解明する。

  3. 波動による擾乱を受けた大気現象を観測し、大気力学の側面から下部熱圏の温度構造を説明する。

下部熱圏とはどんな領域か?

地球大気の温度構造  地球大気の温度構造において、高度90km付近の中間圏界面より上の領域を「熱圏」と呼ぶ。
 下部熱圏では図のように中性大気温度(Tk)が急激に上昇している。この温度勾配は、熱圏で太陽EUV放射によって吸収・加熱された大気の熱エネルギーが熱伝導により下方へ輸送され、より大気密度の高い中間圏で二酸化炭素・酸化窒素などの赤外活性分子から赤外線で放射冷却されるために実現される。その意味で中間圏界面は熱圏での加熱と中間圏での放射冷却がつりあう高度とみなせる。

 地球大気の主成分は窒素分子であり、約80%の組成を占めるが、それは高度約90kmまでの「均質圏」での組成である。それより上では分子拡散が乱流拡散より卓越するために組成成層をしていて、重い気体分子ほど下層に多く、軽い分子ほど上に多い。
 実質的に分子拡散と乱流拡散がつりあう高度である「乱圏界面」は120km付近と計算されるが、高度90〜110kmに存在する酸素分子が太陽紫外放射の Schumann-Runge 領域を吸収して光解離を起こすので、この高度領域で酸素分子から酸素原子への急激な遷移が生じる(右図)。このため、均質圏界面は乱圏界面より低くなる。

大気成分の高度変化


LTE(局所熱力学平衡)の破れと下部熱圏

 窒素分子は2個の窒素原子からなる等核二原子分子である。このような二原子分子の運動には、並進・振動・回転の3つの種類があり、運動であるからには当然それぞれエネルギーを持っている。並進運動のエネルギーは一般に「運動エネルギー」と呼ばれるもので、気体分子の力学的な温度(Tk)と関係がある。一方、残りの2つの運動は内部自由度と呼ばれ、それぞれ「振動エネルギー」「回転エネルギー」を持ち、「振動温度(Tv)」「回転温度(Tr)」が定義されている。連続的な並進運動エネルギーとは異なり、振動・回転エネルギーは不連続なとびとびのエネルギー準位を持っている。

 これらの3種の運動は、気体分子が衝突するときにそのエネルギーの一部をお互いに交換することがある。そのとき、ほかの気体原子・分子とエネルギー交換することもあれば、ひとつの分子について3種の運動の間でエネルギーを分配することもある。ただし、上で述べたように振動・回転エネルギーは不連続なエネルギー準位を持つので、準位間のエネルギー差に相当するエネルギー量しか交換できない。また、振動・回転エネルギーは、光を吸収して上のエネルギー準位に励起したり、光を射出して下のエネルギー準位に脱励起したりすることで、エネルギーを交換することがきる。

 さて、気体の密度が十分に高い場合には、光の吸収・射出による振動・回転エネルギー準位の励起・脱励起よりも衝突が卓越するので、これらのエネルギーの間にはよく交換がなされ、Tk=Tv=Trという平衡状態にある。このとき、気体から放射される光は衝突によって支配されているので、気体の放射と熱運動の間には統計力学的な平衡が成り立っている。この状態を「LTE(局所熱力学平衡)が成立している」と言う。
LTEとは何か

LTEの破れ  ところが、気体の密度が低い場合には、衝突の頻度が減少して、3種の運動の間でのエネルギー交換が不十分になる。つまり、Tk=Tv=Trという平衡状態が成立しなくなる。これを「LTEが破れている」と言う。

 回転エネルギーはエネルギー準位の間隔が比較的小さいために、衝突頻度が少なくても並進運動エネルギーとの交換がしやすく、下部熱圏の大気密度程度ではTk=Trが成立している。

 しかし、振動エネルギーはエネルギー準位の間隔が大きいこともあり、気体の密度が低くなるとTvはTk=Trから逸脱する。このとき、TvがTkよりも高くなるのか、低くなるのかは、その気体分子が赤外線を射出することができる「赤外活性」であるかどうかなどの性質によって大きく左右される。二酸化炭素や酸化窒素は赤外活性分子なので赤外線を射出して放射冷却する。その結果、振動エネルギーは並進・回転エネルギーよりも減少してTv<Tkとなる。一方、窒素分子のような赤外不活性分子は赤外線を吸収・射出してエネルギーを交換することができないために、過剰に振動エネルギーが溜まる(Tv>Tk)。


窒素振動温度の役割

 では、窒素分子の振動温度が高いと熱圏下部の物理・化学にどのような影響があるのだろうか。これまで多くの研究者によってその役割が理論的に研究されており、各種気体原子分子と窒素分子との反応については実験によって詳細に調べられている。

 まず、窒素分子の振動エネルギーが励起される過程を考える。励起には主に3つの過程があり、特に熱圏下部において最も寄与が大きいと考えられているのは酸素分子の解離によって生じる酸素原子との衝突である。この衝突によってO(1D)の持つエネルギーの約25%が窒素分子に与えられる。その他、光電子との衝突や、窒素原子と酸化窒素の化学反応によっても振動励起した窒素分子が生成される。

 その反対に窒素分子が脱励起する過程としては、他の気体分子との衝突がある。酸素分子や酸素原子、二酸化炭素と衝突する際に、窒素分子の持っていた振動エネルギーは、並進運動エネルギーとして分配される。すなわち、「大気を暖める」効果がある。さらに重要な脱励起過程として、二酸化炭素とのカップリングがある。二酸化炭素と振動励起された窒素分子とは相互作用によって振動エネルギーを交換し、二酸化炭素が振動励起される。そして、この振動励起された二酸化炭素は4.3μmの赤外放射脱励起をする。

 振動励起された窒素は以上のような熱エネルギーの収支だけでなく、電離圏物理に対しても影響を及ぼす。例えば、酸素原子イオンと反応し、酸化窒素イオンを生成する。分子イオンである酸化窒素イオンのほうが、反応前の酸素原子イオンよりも電子と再結合をしやすいので、この反応によって結果的に電子密度が減少する。また、この反応の速度は窒素分子の振動温度に大きく依存するため、窒素の振動温度が電子密度をコントロールする要素となる可能性が示唆されている。

窒素振動励起・脱励起と振動温度


窒素振動温度の測定法

 このように、下部熱圏における重要なパラメーターである窒素分子振動温度は、今日まで計算機シミュレーションによって何度も推測されてきたが、観測によって実証されたことがほとんどない。それは窒素振動温度を直接観測する方法が技術的に非常に難しいという理由につきる。

 そこで我々の研究室では、1970年代から実験室的に行われてきた、窒素分子を電子ビームによって振動励起し、脱励起の際に放射される光を測定することで窒素振動温度を推定するという測定法をロケット観測に応用することを考えた。この方法では1974年にO'Neilがオーロラ中でのロケット観測によって窒素振動温度を測定することを試みているが、その結果は振動温度の上限値を与えるにとどまった。

 原理としては、まず、電子銃から射出された電子ビームの電子衝撃によって、大気中の窒素分子を電離・励起する。このとき「フランク−コンドンの原理」によって、どの振動準位に励起されるかが確率的に決まっていると仮定する。
フランク−コンドンの原理
振動エネルギー準位の遷移
 振動励起された窒素分子は短い時間のうちに光を放射して別の準位に脱励起する。この放射脱励起の確率はその遷移確率がわかっている。放射される光の波長は遷移する準位間のエネルギー差によって決まり、その光の強度は遷移確率が高いほど強いと言える。


 ここで励起される前の窒素分子がどの振動準位にどれだけ存在するかという「占有率」は、振動温度Tvの関数になっていると考えられる。逆に振動エネルギーが熱的平衡状態にあるとすればBoltzmann分布に従うので、あらゆる振動準位の占有率を求めることができるから、振動温度Tvを振動エネルギーの大きさを表す指標として定義できる。
振動エネルギー準位と振動温度
 電子衝撃によって回転エネルギー準位も同様に励起される。ただし、回転準位については特定の準位からの遷移のみを考える必要がある。また、回転エネルギーの準位間隔は振動エネルギーに比べてはるかに狭いので、ある回転準位から異なる回転準位へ遷移するときに放出される2つの光の波長は非常に近い。
回転エネルギー準位の遷移
 この場合もやはりBoltzmann分布の仮定から、回転温度Trを回転エネルギーの大きさを表す指標として定義できる。
回転エネルギー準位と回転温度

 さて、一連の過程において、すべて確率的に遷移が起こりかつその確率を計算によって知ることができるとすれば、放射される光のスペクトルの強度分布を励起前のTv、Trの関数として推定することができる。すなわち計算機シミュレーションによるスペクトルの再現が可能である。
計算機シミュレーションによるスペクトル解析
 こうして得られたシミュレーションスペクトルと、実際の観測スペクトルとをフィッティングさせれば、観測された窒素分子の振動温度・回転温度を推定できる。
測定の原理


搭載用・窒素振動温度測定器と室内実験

 現在、我々の研究室では、搭載用測定器の開発と室内実験を進めている。

 ロケット搭載用・窒素振動温度測定器は大きく分けて2つの部分からなる。ひとつは窒素分子を電離励起するための電子ビームを射出する「電子銃部」。もうひとつは窒素分子からの光をレンズで集光し、回折格子で分光してイメージセンサで検出する「分光器部」である。

 電子銃部は、下の図のようにフィラメントから放出された熱電子をグリッド〜アノード間にかけた-1kVの電圧で加速しビーム状にして射出する。電子ビームが放出されると、ロケット筐体は電子を失って正に帯電する。それを軽減するために、コレクターを用いて電子を一部捕集する。
電子銃部の構造と回路
 分光器部では、2枚の対物レンズ(直径100mm)によって集光した光を凹面回折格子で分光し、平面像にしてイメージセンサで検出する。イメージセンサとは、1024個のフォトダイオードが並んだ光検出器で、各フォトダイオードに入射した光の強度を電圧に変換して出力することができる。つまりイメージセンサの出力が窒素分子のスペクトルに対応している。
搭載用・窒素振動温度測定器
 下部熱圏は超高層であるから大気の密度は10-4torr以下と高真空に近い。したがって室内実験を行うときには、真空チェンバーを用いて高真空環境を再現する必要がある。また、搭載用測定器のキャリブレーションを行う場合には、プラズマ環境を再現した大型スペースチェンバーを利用することもある。下の写真は宇宙研のスペースチェンバー(直径2m×長さ3m)内で搭載用測定器の実験をしている様子である。内部は窒素ガスを導入していて真空度は2×10-4torrに設定されている。青く見えるのは電子ビームの軌道上で光るN2+の1st Negative bandの発光である。
スペースチェンバー内での実験の様子


ロケット観測計画

 1996年2月11日に鹿児島宇宙空間観測所(KSC)より打ち上げられた観測ロケットS−310−24号機により、高度90〜170kmにおける窒素分子の振動温度・回転温度・数密度の同時観測に成功した。
 しかしこのときの観測は、太陽活動度が最小期であったうえに夜間の観測であり、窒素分子が振動励起されていないであろうという予測を実証した形になった。

 そこで、2002年2月には前回の測定器をさらに改良した高精度のロケット観測を提案しており、その結果が熱圏下部のエネルギー収支の解明につながることが期待される。このS−310−30号機によるロケット実験計画では、窒素振動温度測定器に加えてロケットに電子密度・温度を測定するラングミュアプローブ、高度80〜100kmの風を観測するチャフ放出機構を搭載した。
 また、今回の観測は国内の研究機関に協力を依頼しており、京都大学のMUレーダーや通信総合研究所のMFレーダーによって下部熱圏の風を同時観測し、ロケット+地上の総合観測を目指している。

観測ロケット実験の概要




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